
Ground Golf History
当時、泊村では高齢化が進み、健康づくりを重要課題としていました。
そのため、文部省(現:文部科学省)の補助事業採決に向けて宮脇三巳村長が国や県へ奔走し、昭和57年に泊村 は指定を受けました。
そして、教育委員会を中心に、高齢者にふさわしい新スポーツの開発に取り組むことになったのです。


考案組織は泊村教育委員会ですが、企画や原案作成の際は鳥取県内外の14名の学識経験者による専門委員会が、実践活動には村内の老人クラブ連合と体育指導委員(現:スポーツ推進委員)の皆さんが、多くの協力を寄せてくれました。
ゴルフ場に行かなくても、地域に密着している学校の屋外運動場(グラウンド)でもできるスポーツをイメージし、「いつでも」「どこでも」「だれでも」できるスポーツを目指したからです。


発祥の地が泊村(トマリソン)であることを後世に残すため、「ホールポストの中にボールが静止した状態をトマリという」とルールに明記しました。
新スポーツ誕生は、県内外に大反響を巻き起こしました。
新聞・テレビなどの報道関係によって全国各地に紹介が続き、手紙・電話による問い合わせや泊村への視察団が相次ぎ、また高い評価を受けていました。
そのため、用具用品の生産販売体制を確立し、組織的な普及活動を展開する必要がありました。
こうして、開発から1年を経過したばかりの昭和 58年7月、泊村、鳥取県、日本グラウンド・ゴルフ協会が次々設立されたのです。
